「縄文魂」2回目のお話は縄文人がどのような生活をしていたかをご紹介します。
学校の歴史で習った歴史とは全く違う縄文人の生活に、たぶん多くの方は驚かれるんじゃないでしょうか?
当時の世界最先端と言われる縄文人の姿を、ごゆっくりとご覧ください!
縄文時代は世界の最先端の文明!教科書では習わない縄文人の本当の生活
さて縄文時代の生活と言うと、多くの方が上の画像のようなイメージをお持ちではないでしょうか?
かく言う僕も、1年ほど前まではそういうイメージを持ってました😅
それも仕方ないですよね…
だって、学校の教科書では「縄文時代は狩猟と採取で生活をしていた」としか教わらなかったのですから。
でも、縄文人は驚くほど高度な生活をしていたんです!
どんな生活をしていたかと言うと…
- 縄文土器は人類にとっての大発明
- 縄文人は集落を作り定住生活をしていた
- 縄文時代には日本各地で交易がおこなわれていた(もしかしたら海外とも!?)
- 縄文人は非常ににオシャレ
- 縄文人は農業もしていた
- 縄文人は超グルメ
- 縄文人は建築技術に優れていた
- 縄文時代には争いが無かった
サックリ書き出しただけでも、これだけの特徴があります。
今回はこれらの項目について簡単に解説し、後日の記事でそれぞれについて詳しく解説していこうと思います。
縄文土器は人類にとっての大発明
最も古い縄文土器は青森県の大平山元遺跡から発見された土器で、約1万6500年前のものと言われています。
これは世界でも最古の土器とも言われています。
土器の発明は、人類の食生活に大きな変化をもたらしました。
それは、「焼く」という調理方法の他に「煮る」と言う調理方法が加わったことです。
「煮る」という調理方法が発明されたことで、アク抜きをしなければ食べられなかったドングリやトチの実などが食べられるようになり食材の範囲が広がりました。
また土器の発明により、食料の保存も容易となりました。
縄文人は集落を作り定住生活をしていた
狩猟・採取で生活している民族のほとんどが、獲物となる動物の移動に合わせて移住生活をしています。
ところが縄文人は、狩猟・採取で食料を得つつも定住生活を行っていました。
これは世界的に見ても非常に稀なそうです。
縄文人が狩猟・採取で生活をしながらも定住ができたのは、当時の日本は気候が温暖で食料となる動物や魚介類、木の実などが豊富だったからだと言われています。
また、縄文土器の発明による調理方法の革命により食べられるものが増えたのも定住を可能にした要因の一つでしょう。
縄文時代には日本各地で交易がおこなわれていた(もしかしたら海外とも!?)
縄文時代、縄文人は日本各地で交易をおこなっていました。
その証拠となるのが翡翠(ひすい)と黒曜石です。
日本で翡翠が産出するのは、新潟県の糸魚川(いといがわ)を含め数カ所しかありません。
縄文時代の遺跡からは、糸魚川産の翡翠を使ったアクセサリーが多数発掘されています。
それも、北は北海道の知床半島から南は沖縄までの日本各地でです!
また、黒曜石を使った石器も日本各地で発掘されていますが、黒曜石の産出地も北海道の置戸(おけと)や白滝(しらたき)、長野県の霧ヶ峰(きりがみね)、佐賀県の腰岳(こしだけ)そして、伊豆諸島の一つの神津島(こうづしま)などと産地が限定されています。
翡翠にしろ黒曜石にしろ、産地が限定されている石が日本各地で見つかるというのは、縄文人が交易をしていた動かぬ証拠!
しかも日本産の黒曜石は、朝鮮半島やシベリアなどでも見つかっていますし、南米のエクアドルからは縄文土器と同じような土器も発見されているとか…
もしかしたら、縄文人は海を越えて世界の国々とも交易していたかもしれません。
ちなみに、青森県の三内丸山遺跡からは久慈産の琥珀も見つかっています。
縄文人は非常にオシャレ
縄文人の服装って毛皮ってイメージを持っている人も少なくないのではないでしょうか?
実は縄文人は、麻などの植物の繊維で布を織り衣服を作っていたと考えられています。
と言うのも、北海道斜里町の朱円遺跡で、火葬した人骨に付着した布が見つかったのです。
加えて三内丸山遺跡からは、縫い針と針入れ思われる出土品も見つかっていることから、何らかの縫物はしていたのは確実です。
また、縄文時代の遺跡からは首飾りや耳飾り櫛などの装飾品が多く見つかっていることは、たぶん皆さんもご存じのことでしょう。
見つかっている装飾品は、土器や木製品だけではなく、先にお話した翡翠や琥珀などでも作られていて、非常に精巧につくられていてクオリティーが高いです。
つまり、縄文人は非常にオシャレだったと言わざるを得ません!
もしかしたら縄文時代にも、ファッションのトレンドリーダーがいたかもしれませんね😁
ちなみに有名な遮光器土偶も、上着とズボンを履いた女性の姿だと言われているのには僕もチョット驚きました。
縄文人は農業もしていた
縄文時代の食料獲得の方法と言えば、皆さんご存じのとおり狩猟と採取です。
ところが近年、縄文人も農業をしていたことが明らかになってきました。
主な作物は、ヒエやアワ、ソバやゴマなどの穀物。
他にも豆類やヒョウタン、栗の木も栽培していたそうです。
三内丸山遺跡の周囲のクリの木は遺伝子的に同じような特徴があり、それは栗の木を栽培していた証拠とのこと。
狩猟・採取の他に農業もやっていたことで、定住生活ができたんでしょうね。
ちなみに最近では稲作も縄文時代からスタートしていたという学説もあります。
縄文人はグルメ
縄文人は僕たちが思っている以上にグルメだったようです。
先にも書きましたが、縄文時代は食材が非常に豊富でした。
山では木の実や野生動物、海や川では豊富な魚介類、そして農業で入手できるようになった農作物。
そして縄文人は、「焼く」「煮る」の他にも様々な調理方法も獲得していたようです。
その調理方法とは、焼いた石を使った石焼料理または蒸し焼き料理、そしてトンネルを利用した燻製など。
中には木の実をすり潰して粉にし、その粉でパンやクッキーなども作っていたそうです。
縄文人は、現代人とほとんど変わらない調理方法で様々な料理を楽しんでいました。
ちなみに、縄文人はお酒も造って飲んでいたそうですよ🍶
縄文人は建築技術に優れていた
縄文人は、非常に建築技術に優れていました。
これは、上の三内丸山遺跡の写真を見てもらえば一目瞭然でしょう。
6本柱の高層建物は、1本の柱の太さが約1mで高さは14.7mもあります。
この高さは現代のビルの5階相当!
また、6本柱の後ろ側の巨大な建物は、長さ32m、幅は9.8m、建物内部は一部2階建てとなっています。
建築機械のない時代に、どうやってこれだけの建物を建てたのでしょうか?
本当に不思議です。
縄文時代には争いが無かった
山口大学と岡山大学の研究グループの調査によると、縄文時代に暴力による死亡率は1.8%だったそうです。
これは、他国や日本の他の時代での暴力による死亡率が10数%に達することに比べると5分の1以下の低さで、縄文時代がいかに平和な時代だったのかが分かります。
縄文時代、1万4000年もの長い年月にもわたり、なぜこんなにも争いのない平和な時代を築くことができたのでしょうか?
その理由は、豊富な食糧事情と縄文人の精神性によるものが大きいと言われています。
その辺の詳しい考察については、この「縄文魂」の根幹にあたる部分なので、後日の記事で改めて紹介していきたいと思います。
縄文時代の生活を動画で分かりやすく
今回、縄文時代の生活の様子をサクっと開設する予定でしたが、思いのほか長文になってしまいました🙇
そこで、最後に縄文時代の生活が分かる動画を1本ご紹介します。
終わりに
今回は縄文時代の生活についてサクっと紹介するつもりでしたが、思いのほか長文になってしました😅
皆さん、いかがだったでしょうか?
縄文人の暮らしに少しでも興味を持ってもらえたのなら嬉しいです。
今回、世界最古の土器は縄文土器ということをご紹介しましたが、日本の古代史には「世界最古」とか「世界最古級」という言葉がたくさん出てきます。
世界の最先端で世界で最も平和だった縄文時代。
これからも、その秘密を解き明かしていきたいと思います。
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